うま味の呼称「滋味」へ

日本人が発見した5番目の基本味「うま味(UMAMI)」は、

漠然と良い味を意味する「旨味」とは全く異なる概念ですが、

同音異義語であるために、しばしば混同されています。

その結果、日本人のうま味の本質に対する理解が曖昧となり、

素材を活かす伝統的な和食文化は緩やかに衰退しつつあります。

それを食い止めるのが当会の目指す「うま味」の呼称変更です。

うま味を滋味に言い換えようの会

・発起人挨拶

 フードコラムニストのフジワラコウ(プロフィールはコチラ)と申します。私は20年以上にわたり食業界に携わり、現在は、人間の心の琴線に触れるような奥深い食の世界を独自に探求しながら発信を続けております。

 これまで、情報収集も兼ねて星付き店を含むノンジャンルで国内外数千軒にわたる食べ歩きをして参りました。その中で痛感したのは、日本国内で「うま味」が重んじられる一方で、時に軽視され、野放図に扱われている惨状、更には日本の食文化が一進一退を繰り返しているという厳しい現実でした。

 このままでは、日本の食文化がいつしか衰退の一途を辿るのではないか――そのような危機感から、改めて「うま味」についての理解を深めるべく学びを進めて参りました。そこで気付かされたのが、「うま味」という概念の奥深さと、それを適切に理解することの難しさ。特に「旨味」と同音異義語であることは内言語的な干渉を引き起こしやすく、結果として「うま味」の実態認識が曖昧になることを半ば強いられている状況です。これは、日本語の言語構造に起因するもので容易には覆しがたく、その行く末には憂慮の念を禁じ得ません。

 これらの懸念を払拭し、日本の食文化を守り育てるために必要なのは、第一に「うま味」に代わる適切な呼称を確立することだと考えます。その足がかりとして、本会「うま味を滋味に言い換えようの会」を立ち上げることと致しました。

 この活動が、日本の食文化の未来を豊かにする一助となることを願っております。どうぞよろしくお願い致します。

※当活動へのご賛同やご協力を心よりお待ちしております。一人でも多くの方とともに、新しい食の未来を創造できることを願っております。ご連絡フォームはコチラ

・本会の趣旨

 日本人の「うま味」に対する理解を停滞させる「旨味」との言語的な干渉を解消するため、「うま味」の呼称を「滋味」に置き換えることを目指します。

・設立の背景

 「うま味」の命名は、発見者の故・池田菊苗教授の「滋養に富んだ粗食をおいしく食べられるようにする調味料を発見・工業化することが日本の栄養不足解消に繋がる」という崇高な想いに基づくものであり、当時の感覚として極めて妥当でした。しかしながら、食生活では慣れ親しみつつも、一般に「うま味」の詳細な情報に触れる機会は限られています。そのため、昨今、メディアやSNS等の公共性の高い情報発信の場で使用される具体性に乏しい「うまみ」という言葉の音韻(=UMAMI)が、情報受信者にとって、生理学用語の「うま味」と主観的な評価表現である「旨味」の両語における音感上ないし概念上の混同を招いています。特に、元来語意の定まっている「うま味」への正確な理解が妨げられやすい状況は憂慮すべきです。
 具体的には、他の基本味(甘味・塩味・酸味・苦味)と並ぶ一味覚に過ぎない中立的概念の「うま味」が各自の好意的な「旨味」の概念と重なり合うことで、「うま味=良い味」という誤解の生まれやすい土壌が育つこと。それが転じて、各人が漠然とした良い味に対して「うま味がある」と非科学的な解釈をし始め、またそれが習慣化してしまう危険性があることです。
 現代社会は、前述の混同が起きる以前に、正しい「うま味」の情報がそもそも不足しています。この状況下で不正確な理解が広く慢性化すれば、「うま味」と「旨味」のいずれにも解されない「UMAMI」という共通観念が生じる恐れもあります。つまり、多くの人が「うま味」と「旨味」の違いをはっきりと認識しない/出来ないために、意識的に使い分けられることがなく、結果、「UMAMI」という音韻のみで何となく通じてしまう曖昧な意思疎通が常態化するということ。それは、基本味である「うま味」の神経生理学的な概念が実態的に意味消失してしまうことと同義です。
 「うま味」の発見が人類の食に計り知れない寄与をしてきたことは言うまでもありません。しかし、その呼称が「旨味」と同音異義語であるために、日本人の「うま味」に対する無理解や誤認識を後押しする格好となっている現状は、今後期待される食文化の発展において、日本だけの致命的な急所となり得ます。即ち、言語的な混同の恐れのない海外と比較した場合、近い将来の食文化の国際競争力において、うま味発見者を擁する日本が「うま味」に対する正しい理解から最も遠ざかり、同分野のリーダーシップをも失いかねないという忌むべき未来です。
 そうならないためには、日本人全体が「うま味」を明確に認識し、理解の停滞から速やかに脱却する必要があります。とは言え、言語的干渉を抱えたまま啓蒙し直すことは容易ではない。まずは「うま味」の代替呼称を確立し、その提唱と並行して正しい概念および科学的知見を発信していくことが急務であると思われます。

・うま味の定義の限界

 うま味とは、基本的な4つの味覚(甘味、塩味、酸味、苦味)では完全に説明できない独自の味覚感覚です。主にアミノ酸の一種であるグルタミン酸や、核酸の成分であるイノシン酸およびグアニル酸が、特定の味覚受容体(T1R1/T1R3)と結合し、強く活性化することが科学的に証明されているため、現在、第5番目の基本味として国際的にも認知されています(※)。
 一方、上記の主要なうま味物質と比べれば微弱ながらも、同じ味覚受容体に結合し、味覚的応答を示すアスパラギン酸やアラニン、セリンなど各種アミノ酸群は先端科学では研究が進められているものの、一般にはほとんど認識されていません。しかし、それらは各食物の独自の風味を形作る歴とした味覚物質であり、例えばカニであれば「カニらしい味」の一部を担う極めて重要なものです。
 したがって、実質的に反応強度の高い味覚物質だけが「うま味」に位置づけられている現状は、人間の味覚能力が持つ広範な可能性や多様性への理解を制限する要因となり得ます。味覚の多様な側面を包括的に捉えるためには、これら微弱な応答を含めたより広い視点での評価が必要です。
 科学研究のリソース配分や食品工業分野の経済合理性において、微弱なものを敢えて除外しているということであれば、一概に妥当と言えなくもありません。しかし同時に、その味覚応答を一体何の味と呼ぶべきなのかという言語的・科学的な欠落が生じることには留意しなければなりません。
 仮にそれらも「うま味」であると定義を拡張する場合、実態に沿って「微弱なうま味」のように区別するのであれば、うま味を明確な強弱で表す科学的な指標が生まれる可能性を評価できます。しかしながら、「旨い」や「旨味」との音韻的・概念的な衝突が解消されない限り、その強弱表現は、常に美味しさそのものの強弱として誤認される危険性を孕んでいます。これは、味覚の科学的評価が正確に伝わらず、食文化発展の先行きに更なる混乱を生む公算が高いのです。
 その点、「滋味」はこうした誤解を回避できる音韻的に中立な言葉であり、味覚の反応強度の高低にも左右されない、より包括的な語義を持ち得ます。そのため、「滋味」は、”微弱なうま味”への味覚応答も考慮しながら、味そのものが持つ豊かさや深みを表現する概念として、従来の「うま味」の枠組みを超えた新たな評価基準を提示する可能性を秘めています。

※現時点では、うま味受容体(T1R1/T1R3受容体)への結合と活性化が「うま味」を定義づける基準として科学的に支持されていますが、今後の研究により、さらなる知見が得られる可能性もあります。

・言い換えの科学的背景

 「うま味」は、単体では「甘味」や「脂質」ほど脳の報酬系に強く作用しません。つまり、もっと欲しいという生理的欲求を直接喚起する類の味ではないことが近年の研究(味の素株式会社「うま味物質の健康価値」2015)で明らかになってきています。そのため、「旨い」(=良い味≒欲しくなる味)と言語的に混同させるような呼称を維持することは、美味しさを形作る味覚(知覚)が多様化した現代の価値観からしてもそぐわないのです。
 現代科学では、昆布やトマトなどに多く含まれ、人間の神経伝達物質でもあるグルタミン酸などの特定アミノ酸、肉・魚類に多いイノシン酸、キノコ類に多いグアニル酸等の特定核酸が舌の味蕾に分布するうま味受容体「T1R1/T1R3」に結合し、活性化することが実証されています。それは、生命活動に必要な栄養素の含有期待値が高い(=滋養が高い)食材を積極的に摂取するために、人間がそのサインを感知できるよう適応進化してきたものと考えられます。
 裏を返せば、「うま味」はその食材の滋養の高さを伝える味覚要素として機能しているとも考えられ、その性質に基づけば、「滋味」と呼称するのが適切です。また、「旨味」との混同が解消されることにより、概念の適切な理解が促進される効果も期待できます。

・滋味とうま味の類似性

 「滋味」は、古来中国から伝わった言葉で、栄養があって味の良いこと(もの)を意味し、「うま味」の実態と近似しています。日本国内では、空海の著作「三教指帰 中巻 虚亡隠士論」(797年)の一節に「口は粗雑な言葉を慎み、舌は滋味を断つ(原文:口息麤語舌斷滋味)」という表現が見られます。これは、仙人になるための節制の必要性を説いたもので、少なくとも8世紀時点の古代から「滋味」という言葉が実際に使われていた例として挙げられます。
 また、現代においては、「ゆっくり味わうと分かる深い味わい」という繊細な語意を併せ持ち、食味のみならず、文学や芸術作品等の奥深さを表現する際にも用いられるようになっています。
 一方、「うま味」は生理学的な閾値こそ甘味などと比べて高いものの、五味の中では最も認識されにくい味とされています。即ち、その味質の繊細さという点において「滋味」の現代的語意が体現されているとも言え、仮に「うま味」を「滋味」に言い換えた場合にも概念上の齟齬が生じない点を高く評価できます。さらに、「滋味」が造語ではなく、日本古来から使われてきた言葉であることも考慮すると、日本語の語義変遷の歴史において無理なく代替可能であると考えられます。

・活動内容

 Webサイトの運営
  ・https://kofujiwara.com/ 上にコンテンツを作成

 SNSの情報発信
  ・うま味の正しい概念と科学的知見
  ・うま味と旨味の音韻的・概念的衝突の問題
  ・うま味と滋味の類似性と言い換えの意義
  ・うま味を滋味に言い換えようの会の存在周知

 Noteの情報発信
  ・SNSに準ずる

 コミュニティの形成
  ・「うま味」の呼称問題等を共有し、世論の形成に繋げる

 キーワード広告の活用
  ・うま味に関心のある検索主体への当会の情報リーチ